高額訪問販売!この米国製品の価値は?日本の物はもっと安い2

経済学

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訪問販売の再来:新たな誘惑の足音

つい先日、我が家に再び訪問販売の波が押し寄せた。今回は、鍋を売りつける営業マンが玄関先に現れたのだ。この出来事は、前回の清掃機購入の騒動を彷彿とさせるもので、家庭内の経済的判断や夫婦の価値観の違いを改めて浮き彫りにした。妻は営業マンに「これは〇〇社(仮名)という訪問販売の会社ですよね?」と尋ねたところ、営業マンは自信満々にこう答えた。「我々はメンバーシップ制を採用しており、選ばれたお客様だけに特別な商品を提供している。他の人には絶対に売りませんよ」と。こうした言葉は、まるで秘密のクラブに招待されたかのような特別感を演出する巧妙な手口だ。妻はすっかりその雰囲気に飲まれ、「この清掃機は本当に素晴らしいものだ」と確信した様子だった。まるで魔法にかけられたかのように、彼女の目はキラキラと輝いていた。

営業マンの言葉には、巧妙な心理操作が潜んでいる。メンバーシップ制という言葉は、顧客に「特別な存在」という錯覚を与え、購買意欲を掻き立てる。こうした手法は、訪問販売の常套手段だ。妻がその場で心を奪われたのも無理はないが、私は内心で警鐘を鳴らしていた。前回の清掃機の一件で、訪問販売のリスクを痛感していたからだ。


経済学の視点:価値は主観に宿る

ここで、経済学の基本に立ち戻って考えてみよう。商品の価値とは、客観的な基準や生産コストだけで決まるものではない。むしろ、購入者がその商品にどれだけの価値を見出すか、つまり主観的な感覚が大きく影響するのだ。この点を理解すると、妻の行動も少しは納得できるかもしれない。

たとえば、ある宗教団体が販売する高価な壺を考えてみよう。その壺は、信者にとっては100万円以上の価値があるかもしれないが、信仰を持たない人にはただのガラクタにしか見えない。同じように、テレビで話題になったある版画家の作品は、専門家の間ではさほど評価されないにもかかわらず、新宿の即売会では50万円で飛ぶように売れる。なぜか? 購入者が「これには50万円以上の価値がある」と感じているからだ。この主観的な価値観は、経済学において「効用」と呼ばれるもので、個人の感覚や信念に根ざしている。

妻が購入した清掃機も、同じ論理で考えれば理解できる部分がある。市場には5万円程度で高性能な清掃機が溢れているのに、彼女は30万円以上の商品に価値を見出した。わずかな性能の違いに25万円もの追加コストを支払うのは、経済学的には非合理に見えるかもしれない。しかし、妻にとっては、その清掃機が「特別なもの」として映ったのだ。彼女の価値観では、それが合理的な選択だったのかもしれない。しかも、支払いは私の稼ぎから出ているのだから、文句を言う筋合いもないのかもしれない。それでも、私にはこの買い物がどうしても腑に落ちない。壺や高価なアートならまだしも、日常使いの清掃機にそこまでの金額を投じる必要があったのか、と。


月賦払いの甘い罠

さらに気になるのは、妻がこの高価な清掃機を月賦払いで購入したことだ。営業マンは最初に商品の総額を強調せず、「月々たった3,100円ですよ」と軽やかに説明したらしい。この金額だけ聞くと、確かに大した負担には思えない。たとえば、私が会社で飲む缶コーヒーの月々の出費が約2,000円、インターネットプロバイダーの料金が約1,000円だ。これらと比べれば、3,100円は日常の小さな出費の範囲に収まるように感じる。

だが、ここに営業マンの巧妙な策略が隠れている。総額を細かく分割して提示することで、購入のハードルを下げ、支払いの負担を軽く見せるのだ。しかし、よく計算してみると、事態はそう単純ではない。月々3,100円の支払いは、利息を含めた総額で約45万円にも膨れ上がり、12年間も支払いを続けることになる。清掃機の耐久性が「30年」と謳われていても、実際のところ、電化製品の寿命は5~6年が一般的だ。12年間支払い続けるとなると、商品のライフサイクルを大幅に超えてしまう。これは、経済的に見てあまり賢明な選択とは言えない。

さらに、現在の経済環境を考えると、利率は決して高くない。30万円を投資信託や配当ファンドに回せば、運が良ければ15万円程度の利益を得る可能性もある。それなのに、なぜわざわざ高額な利息を払って月賦を選ぶのか。妻は、月々の支払額の小ささに目を奪われ、総額や利息の負担を見落としてしまったのだ。この点は、訪問販売の典型的な手口であり、消費者を惑わす巧妙なテクニックだと言える。


営業マンの値引きパフォーマンス

営業マンはさらに、商品の「希望小売価格」から数万円の値引きを提示し、「特別なオファー」を強調していた。妻には、それが大幅な値下げのように感じられたのだろう。しかし、前回調べたように、この清掃機の米国での販売価格は1,200ドルから1,600ドル(約18万円から24万円)だ。つまり、日本での価格はすでに米国の2倍近くに設定されており、値引きしたとしても販売業者は10万円以上の利益を確保している計算になる。さらに、月賦払いを選べば利息が上乗せされ、場合によっては5~10万円の追加収益が業者に入る可能性もある。妻が「得した」と思っている値引きは、実際には業者の利益を確保するためのパフォーマンスに過ぎなかったのだ。

この事実を知ったとき、私は改めて訪問販売の狡猾さに驚かされた。業者は、消費者の心理を巧みに操り、実際の価値以上に商品を高く見せる術を心得ている。妻がその術中に嵌まってしまったのは、彼女が普段あまり衝動的な買い物をしない性格だからこそ、かもしれない。日常の小さな買い物には慎重なのに、こうした大きな買い物で一気に心を奪われてしまうのは、なんとも皮肉な話だ。


妻の選択と夫婦のすれ違い

妻のこの行動を振り返ると、彼女の価値観と私の価値観の違いが浮き彫りになる。私は、30万円以上を清掃機に投じるなら、たとえばアジアへの家族旅行や、私が夢見るヨーロッパへの長期旅行に使いたいと思う。旅行は、私にとって心を豊かにする趣味であり、家族の思い出を築く貴重な機会だ。しかし、妻にとっての「趣味」は、家庭を清潔に保ち、快適な生活空間を維持することにあるのかもしれない。彼女にとって、清掃機は単なる道具ではなく、理想の生活を追求するための投資なのだろう。

それでも、私はこの高額な買い物に納得しきれなかった。妻が普段あまり衝動的な買い物をしないだけに、今回の選択はなおさら不可解に感じられた。もしこのお金で旅行に行けたら、どんなに素敵な思い出が作れただろうか。そんな思いが頭をよぎるが、妻には妻の優先順位がある。夫として、彼女の選択を尊重するべきなのかもしれない。それでも、どこかで「もっと調べてから買えばよかったのに」という思いが拭えない。


妻の反発とクーリングオフの決断

私のこうした思いが、つい口から出てしまったのだろう。妻は私の言葉にカチンときたようで、突然態度を硬化させた。「そんなに嫌なら、クーリングオフすればいいでしょ!」と、彼女は少し怒った口調で言い放った。私は慌てて地元の家電量販店に妻を連れて行き、最新機能を搭載した日本製の清掃機(価格は約5万円)を勧めてみた。吸引力も十分で、空気清浄機能も備えたモデルだ。これなら、30万円の清掃機と遜色ない性能を持ちながら、価格は6分の1で済む。しかし、妻は頑なに首を振った。「これじゃ物足りない」と一蹴されてしまったのだ。

妻の反応には、正直驚いた。彼女は、訪問販売で購入した清掃機に特別な価値を見出しているようだった。5万円の国産モデルでは、彼女の求める「特別感」を満たせないのかもしれない。この一件を通じて、夫婦の価値観の違いがますます明確になった。妻はクーリングオフの手続きを進めると言いながらも、どこかでその清掃機を手放したくない気持ちがあるように見えた。


忙しい夏と新たな視点

この夏は、義母の急病や私の軽い怪我など、家庭内のトラブルが続き、慌ただしい日々が続いていた。旅行の予定も立てられず、いつもなら忙しさにかまけて後回しにする読書に時間を割くことができたのは、皮肉にもこの状況のおかげだ。ふと手に取った『7つの習慣』には、価値観の違いを受け入れ、相手の視点に立つことの大切さが書かれていた。妻の清掃機購入も、彼女なりの「無上の暮らし」を追求する一歩だったのかもしれない。この夏の出来事は、単なる買い物の失敗を超えて、夫婦の対話や価値観のすり合わせについて、深く考えさせられるきっかけとなった。

妻のクーリングオフの決断がどうなるのか、家庭内のこの騒動はまだ続きそうだ。

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