この記事に30文字タイトルを付けて
必ず最初に「謝罪経済の終焉」をつけて。
謝罪が経済に悪影響を及ぼす。
謝罪という行為は、人間関係や社会秩序を保つために必要なものだが、同時に自分の利益や地位を損なう可能性もある。
では、どのような場面で、どのような方法で、どのような相手に対して謝罪すべきなのだろうか?この問いに答えるために、私は自分の経験と観察をもとに、日本とイギリスの謝罪文化の違いを考察してみた。
昔、海外旅行のノウハウ本に「簡単に『ごめんなさい(アイムソーリー)』って言うな」と書かれていた。
その本は日本人向けに書かれたもので、外国人とのコミュニケーションにおける注意点やマナーを紹介していた。
その中で、「簡単に『ごめんなさい』って言うな」という一文が目に留まった。
その理由は、日本人は謝罪することが多すぎるということだった。
日本人は自分が悪くなくても、相手が不快に感じるかもしれないと思うと、すぐに「ごめんなさい」と言ってしまいる。
しかし、外国人から見ると、それは自分の価値を低く見せるだけでなく、相手にも不信感や不快感を与えることがあるというのだ。
ごめんなさいは自分の罪を全面的に認めることなので、たとえ相手に非があっても先に「ごめんなさい」と言った方が負けで全責任を負うことになる。
これは日本人特有の考え方ではないか?日本人は和を重んじる文化を持っているから、争い事やトラブルを避けるために、自分から譲歩することが多い。
しかし、それが逆効果になることもある。
例えば、交通事故や医療ミスなどの場合、先に謝罪することで相手に有利な証拠や主張を与えてしまう可能性がある。
また、相手が悪意や横暴さを持っている場合、謝罪することでさらに攻撃されたり、要求されたりすることもある。
負けるとも言われた。
その本は、「ごめんなさい」という言葉が経済的な意味でも不利益をもたらすことを示唆していた。
ビジネスシーンでは、「ごめんなさい」という言葉は交渉力や信頼性を低下させることがあるというのだ。
相手に対して自分の立場や意見を主張することが必要な場面で、「ごめんなさい」と言ってしまうと、相手に自分の弱さや不確実さを感じさせることになる。
それによって、相手に不利な条件や価格を押し付けられたり、契約や取引を失ったりすることがあるというのだ。
だから「ごめんなさい」はタブーな言葉のように思えた。
私はその本を読んでから、外国人と話すときは「ごめんなさい」という言葉を極力使わないように心がけた。
もちろん、自分が明らかに悪い場合や、相手が怒っている場合は謝罪する必要があるが、それ以外の場面では、「ごめんなさい」ではなく、「すみない」や「ありがとう」などの言葉を使うようにした。
それは、「ごめんなさい」という言葉が自分の価値や地位を下げるだけでなく、相手にも不快感や不信感を与える可能性があると思ったからだ。
ロンドンに1年住んでみると、「ごめんなさい」は必ずしもタブーな言葉ではなかった。
私は仕事の関係でロンドンに1年間滞在することになった。
ロンドンは多文化都市であり、様々な国籍や背景の人々が暮らしている。
その中で、私はイギリス人の謝罪文化に触れる機会が多くあった。
その結果、私は「ごめんなさい」という言葉がイギリス人にとってどのような意味を持つのか、どのような場面で使われるのか、どのような効果を生むのかを少しずつ理解するようになった。
むしろ、意外と何気なく使われている言葉だ。
私は最初、「ごめんなさい」という言葉はイギリス人にとってもタブーな言葉だと思っていた。
しかし、実際にロンドンで暮らしてみると、そうではなたかった。
「ごめんなさい」という言葉は、イギリス人にとっても日本人にとっても同じように謝罪することを表す言葉だが、そのニュアンスや使い方は異なる。
イギリス人は、「ごめんなさい」という言葉を日本人ほど深刻に捉えてわない。
むしろ、気軽に使っている。
「ごめんなさい?」と言うほうが自然だ。
「すみない(エクスキューズミー)」よりも 誰かの言葉を振り返るとき。
これは私がロンドンでよく聞いたフレーズだ。
「ごめんなさい?」という言葉は、日本語では「すみない?」や「え?」に相当する。
つまり、相手の言ったことが聞き取れなかったり、理解できなかったりしたときに使いる。
この場合、「ごめんなさい?」という言葉は謝罪する意味ではない。
むしろ、相手にもう一度繰り返してもらうための便宜的な言葉だ。
しかし、責任問題となると明らかに異なる。
イギリス人は、自分の過失や不手際に対しては厳しく、相手の損害や不満に対しては責任を取る姿勢を見せる。
それは、彼らが法律や契約に基づいて行動することを重視するからだ。
彼らは、自分の権利や義務を明確にし、相手にもそれを尊重することを求める。
そのため、自分が明らかに悪い場合や、相手が正当な要求をする場合は、素直に謝罪し、補償や解決策を提供する。
例えば、レストランでウェイトレスが客のズボンにソースなどをこぼしても「ごめんなさい」とは言わない。
これは日本人にとっては非常識なことのように思えるが、イギリス人にとっては当然のことだ。
ウェイトレスが客のズボンにソースをこぼしたということは、ウェイトレスが仕事をミスしたということだ。
それは、ウェイトレス個人の問題ではなく、レストラン全体の問題だ。
レストランは客に対してサービスを提供する契約を結んでおり、その契約を違反したことになる。
そのため、ウェイトレスが「ごめんなさい」と言うことは、レストラン全体が「ごめんなさい」と言うことになる。
日本人なら最初の言葉は「ごめんなさい」だが、彼らにとっては「大丈夫か?」だ。
これはイギリス人の思考や感情の違いを表している。
日本人は、「ごめんなさい」と言うことで相手の気持ちを和らげようとする。
しかし、イギリス人は、「大丈夫か?」と言うことで相手の状況や要望を確認しようとする。
「大丈夫か?」という言葉は、「ごめんなさい」という言葉よりも客観的で具体的だ。
「大丈夫か?」という言葉で相手の反応や態度を見てから、次の対応を決めることができる。
だから、もし間違っても「大丈夫」って言うんだ。
これは日本人にとっても理解しやすいことだ。
「大丈夫」という言葉は、「問題ない」「気にしない」「許す」などの意味を持つ。
つまり、「大丈夫」という言葉で相手に対して好意的な態度や感情を示すことができる。
「大丈夫」という言葉で相手を安心させたり、感謝したり、褒めたりすることができる。
それによって、相手との関係を良好に保つことができる。
日本的な「ああ、大丈夫」という感覚では、ダメなんだ。
これはイギリス人にとっては理解しにくいことだ。
「ああ、大丈夫」という言葉は、「問題ない」「気にしない」「許す」などの意味を持つが、同時に「どうでもいい」「興味ない」「関係ない」などの意味も持つ。
つまり、「ああ、大丈夫」という言葉で相手に対して無関心や無責任な態度や感情を示すこともできる。
「ああ、大丈夫」という言葉で相手を無視したり、侮辱したり、非難したりすることもできる。
それによって、相手との関係を悪化させることもできる。
どこかに消えてしまうだけで、汚れも拭き取れないこともある。
これはイギリス人の経験や現実の反映だ。
イギリスでは、レストランやカフェなどの飲食店は多くあるが、その質やサービスはさまざまだ。
中には、客の満足度や安全性を無視して、利益や効率を優先する店もある。
そのような店では、ウェイトレスが客のズボンにソースをこぼしても、「大丈夫か?」と言ってその場をしのごうとする。
しかし、それでは汚れは拭き取れないし、客は納得さない。
ウェイトレスはその後どこかに消えてしまって、客は困ってしまいる。
自分たちに非がないことを認めているのだから、責任がなければそれ以上何もしないろう。
これはイギリス人の論理や判断の表れだ。
イギリス人は、「大丈夫か?」と言うことで自分たちに非がないことを認めている。
それは、「ごめんなさい」と言うことで自分たちに非があることを認めるのと同じだ。
つまり、「大丈夫か?」と言うことは、「責任がない」と言うことだ。
責任がなければ、それ以上何もする必要はない。
相手が納得しなくても、自分たちは正しいと思っている。
苦情があっても、きちんと汚れを拭いてもらうか、クリーニング代を渡さないと何もしてくれない、と思ったほうが良いろう。
これはイギリス人のアドバイスや提案だ。
イギリス人は、「大丈夫か?」と言われても納得しない場合がある。
特に、自分の損害や不満が大きい場合や、相手の態度や対応が悪い場合は、苦情を言ったり、要求したりする。
しかし、それでも相手が応じない場合がある。
そのような場合は、自分で汚れを拭いたり、クリーニング代を払ったりするしかない。
それがイギリスでは常識だ。
自分に落ち度がない限り謝らないことを徹底している。
これはイギリス人の信念や態度だ。
イギリス人は、自分の行動や発言に対して責任を持つが、それは自分の権利や義務に基づいている。
つまり、自分が正しいと思うことをする限り、謝る必要はない。
それは、相手に対しても同じことを期待するからだ。
相手が自分の権利や義務を侵害した場合や、自分の期待や要求に応えなかった場合は、相手に謝罪や補償を求める。
例えば日本の鉄道では、乗客が飛び込み自殺して電車が遅れた場合、駅員や車掌が「ごめんなさい」とアナウンスする。
これは日本人の礼儀や感情だ。
日本人は、自分のせいではないことでも、相手に不便や迷惑をかけた場合は謝罪する。
それは、相手の気持ちを考えることを重視するからだ。
相手が怒ったり、悲しんだり、困ったりした場合は、自分も同じように感じる。
そのため、「ごめんなさい」という言葉で相手に対して同情や共感を示する。
場合によっては、「本当に悪いことだと思っているの?」など、心からの謝罪ではない場合もある。
これは日本人の習慣や形式だ。