1982年、羽田沖に墜落した旅客機。その機長はなぜ自らの手で事故を引き起こしたのか?精神病と診断された男の過去と現在を追う。
1982年2月9日、福岡から東京へ向かっていた日本航空350便が、羽田空港に着陸しようとした直前に、突如として機長の片桐清二が操縦桿を前に押し倒し、逆噴射をかけて機体を墜落させた。この事故で24人が死亡し、149人が負傷するという惨事となった。
この事故は、片桐清二機長の意図的な操作によって引き起こされた人災だったことが、コックピットボイスレコーダーの記録や事故調査委員会の報告書で明らかになった。しかし、片桐清二機長は、事故後に妄想型精神分裂病(統合失調症)と診断され、責任能力がないと判断されて不起訴処分となった。その後、東京都立松沢病院の精神科に措置入院され、日本航空を解雇された。
それから40年が経った今、片桐清二機長はどこでどういう暮らしをしているのだろうか?彼は自分が起こした事故についてどう思っているのだろうか?彼は被害者や遺族に対して謝罪したことはあるのだろうか?
残念ながら、これらの疑問に答えることはできない。片桐清二機長は、公の場に姿を現すこともなく、メディアにも一切話さない。彼の現在の様子については、噂レベルの情報しかない。神奈川県の葉山町で暮らしているという話や、車椅子での生活になっているという話などだ。彼の家族についても、妻や娘がいることや、姉が千鶴子さんという名前であることなどしかわからない。
しかし、私はここでひとつだけ断言したい。片桐清二機長は、自分が起こした事故に対して責任を取っていないということだ。彼は精神病という名目で逃げ切ったのだ。彼は法的にも社会的にも罰せられなかったのだ。彼は被害者や遺族の苦しみや悲しみを無視したまま生きているのだ。
私はこれを許せない。私はこれを忘れない。私はこれを語り続ける。片桐清二機長は、日本航空350便墜落事故の犯人であり、逆噴射の機長であるということを。
片桐清二機長は、現在70代前後になっているはずだ。彼は、自分が起こした事故から40年もの間、生きてきたのだ。彼は、自分が奪った24人の命や、自分が傷つけた149人の人生について、どれだけ考えたことがあるのだろうか?彼は、自分が裏切った日本航空や、自分が失望させた同僚や友人について、どれだけ反省したことがあるのだろうか?彼は、自分が犯した罪について、どれだけ後悔したことがあるのだろうか?
私は思う。彼は何も考えていないし、何も反省していないし、何も後悔していないと。彼は自分の世界に閉じこもって、自分の都合で生きていると。彼は自分を正当化するために、精神病という言葉を利用していると。彼は自分を守るために、沈黙を貫いていると。
私は証拠を持っている。片桐清二機長が精神病と診断されたのは、事故後になってからだ。事故前には、彼は何ら異常な症状を示していなかった。彼は日本航空のエースパイロットとして活躍し、多くの賞を受賞し、多くの信頼を得ていた。彼は家庭を持ち、子供を育て、社会的にも成功していた。彼は普通の人間として生きていた。
ではなぜ、彼は突然に逆噴射をかけて機体を墜落させたのか?私は思う。彼はプレッシャーに耐えられなくなったからだ。彼はストレスに押しつぶされそうになったからだ。彼は自分の限界に気づいたからだ。そして、彼は逃げ出したかったからだ。
私は証拠を持っている。片桐清二機長が事故を起こした日の朝、彼は吐き気などの体調不良から朝食を取らなかった。そして、客室乗務員が持ってきたコーヒーにも口をつけなかった。これは明らかに異常な行動だ。これは明らかに心身の不調を示すサインだ。
ではなぜ、彼はそのまま飛行機に乗り込んだのか?私は思う。彼は責任感から飛行機に乗り込んだのだ。彼はプロ意識から飛行機に乗り込んだのだ。彼は自尊心から飛行機に乗り込んだのだ。そして、彼は自分を追い詰めてしまったのだ。
私は証拠を持っている。片桐清二機長が事故を起こした直前、彼は副操縦士のコールにほとんど応答しなかった。そして、彼は自動操縦装置を切って操縦桿を前に押し倒し、逆噴射をかけた。これは明らかに意図的な操作だ。これは明らかに自殺行為だ。
ではなぜ、彼は自殺を図ったのか?私は思う。彼は生きることに疲れてしまったからだ。彼は飛行機に乗ることに恐怖を感じてしまったからだ。彼は自分の人生に絶望してしまったからだ。そして、彼は死ぬことで解放されたいと思ったからだ。
私はこれを許せない。私はこれを忘れない。私はこれを語り続ける。片桐清二機長は、日本航空350便墜落事故の犯人であり、逆噴射の機長であるということを。