日本の雇用の変革と雇用の流動化9:組織・制度研究から見る自動車産業の事例

経済学

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 経済学の中に組織や制度を研究する分野がある。

この分野では、人間の行動や選択をどのように組織や制度が規定しているか、またその逆にどのように人間の行動や選択が組織や制度を変えていくかという問題に取り組んでいる。

そこでのひとつの結論は社会的な制度は、人間の合理性や効率性を高めるために発展してきたものではなく、文化や歴史によってそれぞれの国が異なった出発点に立ちより良い制度を模索した結果として、現在それぞれの国が採用している制度に至ったということだ。

このことは、制度は単なる道具ではなく、社会的な文脈や価値観に根ざしたものであることを意味している。

従って今ある制度はそれなりの合理性があり、必ずしも全面的に否定されるべきものではない。

むしろ、その制度がどのような社会的な背景から生まれたか、どのような役割を果たしてきたかを理解することが重要で、最終的に辿りつく制度は必ずしもひとつではなく、出発点によって異なる到着点が複数存在することが示唆されているので、これは、異なる国々が異なる制度を持っていてもそれぞれに合理性がある可能性があることを示しており、一方的に他国の制度を模倣することは必ずしも望ましいことではないかもしれないということだ。

つまり日本が年功序列的な終身雇用システムを採用しているのは、日本の文化的あるいは歴史的な出発点が理由でありそうしたシステムが社会的に役に立っていたからこそ維持されてきたということだ。

日本は長らく封建的な社会構造を持ち、家族や集団への忠誠心や協調性が重視されてきた。

日本の自動車産業は世界的にも競争力を誇ってきたが、それは日本の持つ雇用システムやケイレツ的な生産システムが自動車産業の特徴に相応しかったからだと考えられている。

自動車産業は多くの部品や工程から成り立つ複雑で高度な産業であり、品質やコストや納期を確保するためには高い水準の技術力や管理力が求められる。

日本の雇用システムは年功序列型によって会社への定着度を高め、それぞれの会社独特の根回しなどの協調システムを習熟することによって部門間の情報共有、つまり会社内部での協力関係を維持するのに優位なシステムであったと考えられている。

これは、会社内部の競争や対立を抑え、従業員のモチベーションやスキルを高める効果があったということだ。

それが自動車のように様々な部品製造部門の協力が不可欠な産業では優位に働いたのだというので、自動車は単なる機械ではなく、デザインや性能や安全性など多くの要素が組み合わさった総合的な製品で、例えばヘッドライトやタイヤや外部のメーカーの製品を買ってきてつけることも可能ではあったが、エンジンやボディ等は自動車の心臓部であって外部に委託するわけにはいかなかった。

これらの部品は自社で開発し、生産する必要があったが、それには高度な技術力や設備投資が必要であった。

そして、エンジン製造部門やボディ製造部門、そしてデザイン部門等が綿密に打ち合わせて協力し合うことによって初めて自動車が完成するのだ。

このように、自動車産業は多くの部門が連携して一つの製品を作り上げる産業であり、そのためには日本の雇用システムやケイレツ的な生産システムが適していたと言えるだろう。

その際にヘッドライトといえども、それは単なる照明装置ではなく、新車の重要なデザイン要素の一部かもしれない。

ヘッドライトの形や色や光の強さは、新車のイメージや個性や魅力を大きく左右するからで、そうするとヘッドライト・メーカーも新車開発には最初から加わる必要があり、自動車メーカーと密接に連携してヘッドライトの設計や製造を行うことになる。

部品メーカーもケイレツ下に置かれることになったと言うのだ。

ケイレツとは、自動車メーカーを中心とした部品メーカーや販売店などの緩やかな企業連合で、ケイレツ下にある部品メーカーは、自動車メーカーからの安定的な発注や技術支援を受ける代わりに、自動車メーカーの要求に応えるために柔軟に対応することが求められる。

部門間の協調関係を苦手とした米国では新車開発には何年もの歳月が必要であったところ日本のこのシステムは新車開発をわずか数年に短縮することを可能とし、結果として日本メーカーの優位を築き上げたと考えれらている訳だ。

米国では、自動車メーカーと部品メーカーは対等な立場で取引を行い、部品メーカーは自動車メーカーから独立した存在であった。

そのため、部品メーカーは自動車メーカーの新車開発に関与することが少なく、部品の仕様や価格や納期などでしばしば対立することがあった。

だからこうした産業においては、もしかしたら今でも日本的雇用システムが有効なのかもしれない。

日本的雇用システムとは、年功序列型賃金や終身雇用制度や企業別労働組合などを指す言葉で、日本的雇用システム全てが悪いという訳ではなくまた、全ての産業や企業において必ずしも能力主義型雇用システムが優位にあるとも言えないかもしれない。

能力主義型雇用システムとは、個人の能力や実績に応じて賃金や昇進を決める制度で、要は適材適所ということだ。

適材適所とは、人材をその能力や特性に応じて最適な場所に配置することで、ただ、問題はどういった産業で日本的雇用システムが優位を保てるかということだ。

日本的雇用システムは、部門間の協調関係や情報共有や技術伝承などを促進する効果があるとされるが、それらが必要とされる産業はどのようなものなのかということで、仮に自動車産業では引き続き日本的雇用システムが優位だとしても、製造業の中心は自動車からハイテク機器に移りつつある。

ハイテク機器とは、コンピューターや通信機器や半導体などの先端技術を用いた機器で、そこで米国型が優位であれば今後は格差が拡大していくことになってしまうかもしれない。

米国型とは、能力主義型雇用システムや市場原理主義や個人主義などを指す言葉で、その場合には、いかに日本型雇用システムが文化的・歴史的な背景を持っていたとしても徐々には変化して行かざるを得ないものになるのかもしれない。

日本型雇用システムは、日本の歴史や文化や社会構造に影響を受けて形成されたものであり、長らく日本の経済発展に貢献してきたものであるが、時代や環境の変化に対応できるかどうかは不確実で、実際、残念なことに現在の状況を見るとハイテク産業では米国型が優位に立っているようだ。

ハイテク産業では、技術革新や市場変化が激しく、常に新しいアイデアや製品やサービスを生み出すことが求められる。

近年のコンピューター社会では、例えば米国のような部門間の強調作業よりもどこか一部署が突出していれば競争に勝てるシステムに優位に働くようになったと考えている。

部門間の強調作業とは、部門間の連携や調整を重視する作業方式で、例えば、パソコンのマザーボードやハードディスクや、モデムやそうした各部品はIBM互換のような一定の規格の下に、全く別々に製造されてもそれらを自由に組み合わせてひとつのパソコンにすることができるようになっている。

パソコンは、個人用の小型コンピューターであり、多くの場合IBM互換機と呼ばれる規格に従って作られている。

一定の規格さえ守っていれば、パソコン・メーカーは自分の会社の中で内製しなくても外部から最も安くて品質の高い製品を購入してくることができるようになっているのだ。

こうした産業では会社の中での調整能力に優れた人材よりも、独自の発想や創造力や革新性を持った人材や、iMacのような独創的なコンセプトを作れる人材等特殊な技能を持った人材が重視されるだろう。

これらの人材は、市場のニーズやトレンドを敏感に察知し、新しい価値や魅力を提供できる人材で、そして、年功的賃金で終身雇用される人材よりもその場その場で必要な能力を持ち合わせた人材を一時的に雇用して行くシステムの方が企業の競争力が高まるということでもある。

このシステムは、企業が柔軟に人材を採用し、必要に応じて解雇することができるシステムで、そう言えば、ソフト開発もオブジェクト志向になってきている。

ソフトウェア開発の手法の一つであり、ソフトウェアを部品化し、それぞれの部品に機能や属性を持たせることで、それぞれの部品毎にソフトを構築しそれを最後に合成する形でひとつのソフトが完成する。

この方法は、ソフトウェアの再利用性や拡張性や保守性を高める効果があるとされる。

こうした仕組みによって、ソフト開発は各パーツ毎に分業が可能になった。

分業とは、作業を細分化し、それぞれの作業を専門化した人や組織に任せることで、ゲーム・ソフトもそうだ。

コンピューターやゲーム機などで動作するゲームのプログラムでソフト全体でのグランド・デザインというものはあるが各ステージ毎に別々にプログラムを書いていくこともできる。

グランド・デザインとは、全体的な構想や計画や目標で、各ステージ、ゲーム内で進行する場面やレベルや区間を分業ができれば、並行作業も可能になりソフト開発時間も短縮化される。

同時に複数の作業を行うことで、それが競争力を強化する方法だ。

他者や他社と比較して優位に立つ能力や条件が

こうした分業化や並行作業が可能な産業は、潜在的に米国型システムに優位な産業と見ることができるかもしれない。

米国型システムは、分業や競争や市場原理を重視するシステムであり、個人の能力や実績に応じて報酬や評価を決めるシステムで、しかも米国型社会は益々分業化の道をひた走っているように見える。

米国型システムを採用している社会が最近の流行りは”スピン・アウト”といって、不要な部門を会社から切り取って売却し本業へ専念する形だ。

スピン・アウトとは、会社が自らの事業や部門の一部を分離し、新たな会社として独立させることで、そうでなくとも、事務部門から何から会社にとってそれほど重要でない部門は次々と廃止し、”アウトソーシング”して外部の専門業者のサービスを買う形に変化してきている。

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