のぼらんか てんとう虫が木を登る奇妙なSTG

クソゲー&バカゲー レビュー

t f B! P L
かつてアーケードゲームの黄金時代に、データイーストという名を冠した数々の名作がゲームセンターのフロアを彩った。その中でも、開発は別の手によって生み出された異色の作品「のぼらんか」は、まるで忘れ去られた秘宝のように、ゲーマーの心に独特の爪痕を残す存在である。このゲームは、ただの娯楽を超え、プレイヤーに奇妙な冒険と精神的な試練を課す、まさに異次元的な体験を提供する。データイーストの名を借りつつも、その枠を超えた奇抜さが、このゲームを語る上で欠かせない要素だ。なぜなら、この作品は単なるゲームではなく、プレイヤーの忍耐力と好奇心を試す試金石なのだから。
ゲームの幕開けを飾るタイトル画面は、胡散臭さという言葉では形容しきれない、独特の雰囲気を漂わせている。まるで場末の怪しげな屋台のような、どこか人を引きつける魔力を持つ画面だ。ピクセルアートの粗さ、配色の妙、そして何かしら不穏な予感を匂わせるフォントの選択――これらが一体となって、プレイヤーに「これはただ事ではない」と囁きかける。意欲をそそるというよりは、まるで未知の領域に足を踏み入れるような好奇心と不安の入り混じった感情を喚起するのだ。このタイトル画面を見た瞬間、プレイヤーはすでに「のぼらんか」の世界に引きずり込まれていると言っても過言ではない。そこには、普通のゲームでは味わえない、何か得体の知れない魅力が潜んでいる。
ゲームが始まると、突如として般若の面を被ったような異様な風貌の男が、ヒロインを力ずくで連れ去る場面が展開される。この般若の男は、まるで歌舞伎の舞台から飛び出してきたかのような異様な迫力を放ち、プレイヤーに衝撃を与える。ヒロインの絶望的な表情と、般若男の冷酷な動きは、まるで古典的な物語の冒頭を思わせるが、どこか滑稽さも漂う。一方、画面の脇に控えるのは、なんとも意外な主人公――てんとう虫の姿をした中年男性だ。この主人公のビジュアルは、ただでさえ奇妙なこのゲームの世界観をさらに増幅させる。てんとう虫の姿でありながら、どこか人間臭いその表情と仕草は、プレイヤーに「このおっさんは一体何者だ?」という疑問を投げかける。実は、このてんとう虫おっさんのデザインは、開発者が意図的にユーモアと不気味さを融合させたものだとされている。ゲーム史の片隅に残るこのキャラクターは、まさに「のぼらんか」の象徴と言えるだろう。
ハイスコアの表示が「ICHIBAN」という、どこか時代錯誤な言葉で示されるのも、このゲームの独特なユーモアの一端を表している。この「ICHIBAN」という表示は、当時のアーケードゲームのトレンドを反映しつつも、どこか皮肉めいた印象を与える。プレイヤーはこの表示を見るたびに、ゲームの開発者の意図的な「ふざけっぷり」を感じずにはいられないだろう。
ゲームの基本構造は、縦スクロール型のアクションゲームである。プレイヤーはてんとう虫おっさんを操作し、そびえ立つ木を登りながら、般若の男にさらわれたヒロインを救出するという明確な目的に向かって進む。この設定は、一見すると時代劇や冒険譚を彷彿とさせるが、般若の男というキャラクターがその常識を打ち砕く。般若といえば、能や歌舞伎における女性の怨霊を象徴する存在だが、このゲームではなぜか男性がその姿で登場する。この奇妙な設定は、開発者が意図的にジェンダーの枠組みを撹乱したものなのか、それとも単なる遊び心の産物なのか、プレイヤーにさまざまな憶測を呼び起こす。たとえば、「がんばれゴエモン」でも悪役が般若大将軍だったが、「のぼらんか」の般若男は異様な存在感を放つ。このギャップこそが、ゲームの独特な魅力を生み出しているのだと言えるだろう。道中では、奇妙な敵キャラクターたちが次々と登場し、プレイヤーを翻弄する。
プレイヤーは弾丸を発射して敵を倒すことができるが、この攻撃手段はどこか頼りない。弾丸の速度は遅く、敵に命中するまでに時間がかかるため、タイミングを誤ると簡単に敵の反撃を受けてしまう。一方で、てんとう虫おっさんには空を飛ぶ能力が備わっており、敵の攻撃を回避することが可能だ。しかし、この飛行シーンはあまりにも滑稽で、プレイヤーに笑いと苛立ちを同時に誘う。てんとう虫おっさんが羽をパタパタと動かしながら、まるで力尽きた蝶のようにフラフラと浮かぶ姿は、なんとも情けない。しかも、当たり判定が異様に大きく設定されているため、敵の弾がかすっただけで即座にミスになってしまう。この不条理なまでに厳しい当たり判定は、プレイヤーの忍耐力を試す試練そのものだ。ゲームの開発者は、意図的にこのような難易度の高い設定を施したのだろうか。それとも、単なる技術的な制約がこのような結果を生んだのか。いずれにせよ、この過酷なゲームメカニクスは、プレイヤーに「なぜこんな目に遭わなければならないのか」と自問自答させるほどのインパクトを持つ。
ミスをすると、てんとう虫おっさんが「あっ!」や「げっ!」といった情けない叫び声を上げながら、地面に崩れ落ちる。この演出は、まるでプレイヤーの失敗を嘲笑うかのような残酷さを持つ。叫び声のバリエーションは意外に豊富で、時には「うわっ!」や「ひぃ!」といった新たなフレーズが飛び出すこともある。これらの声は、当時のアーケードゲームとしては珍しく、キャラクターに人間らしい感情を与える効果を持っていた。しかし、その感情表現があまりにも滑稽で、プレイヤーの苛立ちをさらに増幅させる結果となっている。崩れ落ちるアニメーションも、てんとう虫おっさんがグシャッと潰れるようなビジュアルで、どこかブラックユーモアに満ちている。このような演出は、現代のゲームではなかなか見られない大胆さであり、当時の開発者の遊び心と実験精神を物語っている。プレイヤーはこの瞬間、ゲームに翻弄されながらも、どこかその不条理さに魅了されてしまうのだ。
さらに、ゲームの音楽は、プレイヤーをからかうような軽快なメロディで構成されている。この音楽は、まるでカーニバルのパレードを思わせるような陽気さを持ちつつも、どこか不気味な雰囲気を漂わせる。メロディの裏に隠された不協和音が、プレイヤーの心に微妙な不快感を与え、ゲームの世界観を一層際立たせる。この音楽は、ゲームの進行に合わせて変化し、ステージが進むごとにその不条理さが強調される。たとえば、ボス戦では突然テンポが上がり、まるでプレイヤーを急かすようなリズムが流れ出す。この音楽の選択は、ゲームの奇妙な世界観と絶妙にマッチしており、プレイヤーに「このゲームは本気でふざけている」と確信させる。加えて、不合理な当たり判定や奇抜な敵デザインと相まって、プレイヤーは次第にてんとう虫おっさんに対して殺意にも似た感情を抱き始める。この感情は、ゲームの難易度の高さと、キャラクターの情けない姿が相乗効果を生み出した結果だと言えるだろう。
ゲームオーバーになると、さらなる精神的な試練がプレイヤーを待ち受ける。コンティニュー画面では、なんとてんとう虫おっさんの身体そのものがカウントダウンの数字として表示されるのだ。この演出は、まるでプレイヤーを嘲笑うかのような悪意に満ちている。数字が減るごとに、てんとう虫おっさんが弱っていく姿は、プレイヤーの心に深い絶望感を植え付ける。このような演出は、他のアーケードゲームでは類を見ないほどの独創性を持ち、プレイヤーに強烈な印象を与える。コンティニューを繰り返すたびに、てんとう虫おっさんの姿が脳裏に焼き付き、プレイヤーは「もう二度とこのゲームをプレイしたくない」と感じつつも、なぜかコンドルを握りしめてしまうのだ。この中毒性こそ、「のぼらんか」の真の恐ろしさであり、魅力でもある。
苦労して木を登り、ついにボスを倒した瞬間、新たなステージが開始される。しかし、このゲームの試練は終わらない。全ステージをクリアするためには、並大抵の精神力では足りない。ステージが進むごとに、敵の攻撃はより苛烈になり、障害物の配置はさらに狡猾になる。プレイヤーは、てんとう虫おっさんと共に、果てしない試練の旅を続けなければならない。このゲームは、単なる娯楽を超え、プレイヤーの忍耐力と精神力を試す壮大な実験なのだ。

人気の投稿

このエントリーをはてなブックマークに追加

プロフィール

こんにちは!ゆうすけと申します。このブログでは、さまざまなジャンルやテーマについての情報やアイデアを共有しています。私自身、幅広い興味を持っており、食事、旅行、技術、エンターテイメント、ライフスタイルなど、幅広い分野についての情報を発信しています。日々の生活で気になることや、新しい発見、役立つヒントなど、あらゆる角度から情報を提供しています。読者の皆さんがインスパイアを受け、新しいアイデアを見つける手助けができれば嬉しいです。どのジャンルも一度に探求する楽しさを感じており、このブログを通じてその楽しさを共有できればと考えています。お楽しみに!

人気記事

ブログ アーカイブ

テキストの遊園地、vimの全オプション

このブログを検索

人気ブログランキングへ


QooQ