研究批評を書く人のための序論2

家主・重鎮級に初めて書き得た入門書と呼ばれるものも世の中に沢山存在する。
(そのようなプライマーは、プロが読んでも学べることが多い。)しかし、「入門」の多くの書籍(または講演録)形式になっており、論文スタイルの入門は珍しい。
「紹介記事"..."このようなことを、このような方式としている人がいる」と読者に知らせるためのもの。
分かりやすいのが一番。
論点とアクセスの核を伝えればよく、別に徹底的でなくてもよい。

一方、中途半端でデタラメな紹介は、誤解を招き「むしろ有害であった」などと、後で批判しているケースもあるので要注意。
「トレンドレポート」...具体的な特定の分野の研究動向を、「はじめに」より詳しくまとめて、資料的な価値を持つ。
(猛研究が必須。)
「眺めの論文"...未解決の問題の解答や解決方法の提示、自身の視点から論点配置など、いくつかの点で、従来の学問的貢献を果たすもの。
(頭脳の勝負。)

「論考」...特定の説に関して最先端の観点から議論を行いる。
(これは満足のいく書き込みになったら、その分野での一廉論客として認められることができる。)
「メタ分析」(論文の種類ではなく、研究手法の一つなので、上記の5つは、カテゴリが違うともすることができるが、関係性があるので、併せて、ここで取り上 げることにした。)...これまでの研究の結果を、多くのケース、数量的/統計的に再整理・分析し、そこで一貫性のある規則性や傾向を導き出そうとのこと。
「論考」のメタ分析の方法を利用するなども可能である。

何のために批評を書いていのか?
どのような種類のどのような研究もタテ糸とヨコ糸がある。
縦糸というのは、各々の研究テーマの過去から将来に向けた研究の歴史的流れである。
だが、その後、「楽しみ」がない。
だから、ヨコ糸が必須である。

横糸は、他の種類での同様な考え、理論、模型、主張である。
もう一つ、研究に斜め糸が必要である。
斜め糸というのは、各々の時代の各々の概念の「批判」の流れである。
全部の研究は、「戦うライバル」がいるというのだ。
更に批評論文を書くということは、著者自身が戦士になり、過去に遡って、再びナナメ糸に戦いを挑むものでなければならないと言う。

一つの分野で新しいアイデアがある生まれると、ほとんど一斉に、別の分野でも同様のアイデアが生まれたと言っているが、まさに相互行為の研究でも同様なことを 言うことができる。
社会人類学の伝統に基づいて、対面的な相互行為を最初に独立した領域に扱ったGoffman。
そして民俗方法の創始者であるGarfinkel。
この二人は、1950年代後半から60年代のような時期、UCLAで教鞭をとっていた。
その講義を聞いていたのが、当時大学院生、ダイアログの分析を創始、発展させたSacksとSchegloffである。

相互行為の研究のいくつかの方法の合流は、この出会いによって発生した。
相互行為の研究、以後も文化人類学、社会学、言語学、心理学など様々な分野に渡る。
本稿では、「Goffmanの相互行為の研究」と「会話分析(民俗方法論的な相互行為分析)」に採択されて、彼らの方法の特性と研究の流れ、他の技術との違い について整理する。
これタテ糸とヨコ糸である。
そして、ナナメ糸で、各々の降着に対する批評;褒貶について論じ、会話分析と「エスグラフフィ」との融合の可能性と「本格的な周辺参加(LPP理 論)」の引用を検討する。
また、両方の理論に「異なる文化」という新しい視点を提供する「相互行為の社会言語学」についても紹介する。